忙しいという免罪符による不感症

こんばんは。
橘ミサヲです。


今日は、朝から晩まで
ハニーセッション。


セッションとセッションの合間に
ハチミツを梱包し、ついついご飯も食べずに
仕事をしていた(笑)


セッションも3件
合間に大量のハチミツの梱包
ドバイの準備をして
メール対応に追われ
最後は家事が残ってる


でも、バリバリ働いていたときに比べたら
働いたー!と思う今日ですら
はるかに「ゆるい」。



バリバリに働いてた時は
忙しさが当たり前で
それが正義だった。


むしろ、学生の頃から
そういう働き方に憧れていた。


サラリーマン時代は、それなりの会社で
比較的お金もそれなりに入ってきていた。
忙しくて使う暇もなかったので貯金した。


しかし、日々ストレスがたまり
何かのタイミングで大きく散財する。
そんな繰り返しだった。


ストレスにより
幸せや楽しみの感度が下がり
不感症になっていく。
日々の小さな刺激では足りず
長期休みには海外へ
みたいな生活をしていた。


だからたいして貯蓄はたまらない。
その散財がストレス発散だったのだ。


でもそれで満足だったし
それなりに楽しかったし
社会人としてちゃんとしてると思っていた。



あの頃、莫大なお金をかけて
医学会でブースを出している
多国籍の製薬会社をみても
「へぇーお金かけてるなー、まぁ、あの薬に力入れてるんだなー売れればそんなのすぐペイだな」
ぐらいにしか思わなかったと思う。


ワクチンを打っての被害、
新しい抗がん剤が出てもたいして伸びない生存率
魔法の夢の薬だ!なんて言っているのは日本だけ。
財政を圧迫する医療費。
海外は、医療費を懸念し、導入には消極的。

あの当時だったら
私はどう思ったんだろうか。



やっぱり危機意識はなかったんじゃないかな。
「まぁ、副作用はあるよね」と考えるか
「嫌だけど、増税するしかないよね…」
くらいの考え方をしてただろう。


あぁ、なんと恥ずかしい…
いま思うと、恥ずかしくて
書いていても情けない。


当時のそんな自分を責めるつもりもない。
別にどんな意見を持っていても自由だし
それは良いと思う。


じゃぁ、何が恥ずかしいのか。
何が情けないのか。



世間のことに疎くなっていたこと
自分が楽しく生きるためのこと以外に
不感症になっていたこと だ。


そしてなにより、それを
「忙しいから」という免罪符で
正当化していたこと。


漢字とはすごいね。

忙しい
りっしんべん+亡くす
心をなくすとかいて、忙しい。

まさに、当時のわたしだ。



バリバリ働いていると
忙しさで思考する
エネルギーを割かれて
自分で考えるという感覚が麻痺する。


政府がやることに疑問を持ったり
今の医療のおかしな仕組みにすら
何も思わない。


自分が楽しく生きていくためのこと以外には
不感症になっていく。


そんな自分に気がついたとき
カラダがボロボロだった。
カラダが教えてくれたのだ。


わたしはそんな自分が嫌で
バリバリ働く生き方を辞めたいと思った。
そして、そこから引っ張り出してくれたのが
ハチミツだった。



今は、ほどよくゆるく生きた方が
いいなと思っている。


もしかしたら、周りから見たら
ミサヲさんはいつも忙しそう…
と思うかもしれないが(笑)
昔に比べた全然だ。


なぜなら、心はちゃんとここにあるから。
時間的にばたついているときもあるけれど
ほどよくゆるい生きたかをしている。


「ほどよくゆるく生きてみる。」

いろんなことが変わりそうな過渡期に
混沌とするこの世の中に
巻き込まれないで済むひとつのコツだと思う。


そして
自分で人生の主導権を握ろう。
それは、会社にいたってできること。


ひとつずつ自分でコントロールできるものを
増やしていこう。

自分の健康を自分で守る力
あるいは、食べ物を自分で作る力

なんだっていい。

自分で生きる力をつけていこう。
自立していこう。