夏休みのおもひで〜矛盾の中でみつけた大切なこと〜

先週、名古屋ではよさこいのお祭り
日本ど真ん中祭りが開催されていた。

*よさこいは、地域の民謡を基本としたグループのダンスで、いろんなお祭りで大会が行われる。



少し高めの尺八や笛の音が
私の背筋をピンとさせ

下から突き上げられるような
太鼓の音が、お腹に響きスイッチオン。

一気に身体が活性して
つい、踊りたくなる瞬間だ。


でも、社会人になってからずっと
よさこいを見るたびに私は、この感覚と同時に
切なくてたまらない気持ちになっていた。


踊り子の煽る掛け声や笑顔を横目に
切なさに蓋をして、通り過ぎていた。


今年の夏、ようやく
その切なさが終わった。



人生で、100%やりきった経験は?

そう問われたら、
大学時代のよさこいと回答する。
それくらい、自分の中で
やり切ったと思えるもののひとつ。


踊るだけではなくて
祭りの運営や地域の町おこし
全国からの学生チームを宿泊の手配など
いろんな経験をさせてもらった。


踊ることに関しては
予選すら通れないという時代
チームがまとまらなくて悩んだとき
メンタルが弱くOGに喝を入れられた時もあった。


でも、そんな苦しいときを経て
最後の大会では、チーム念願の最優秀賞で
台湾に踊りに行くという経験もした。


今、思い返しても、
とても頑張っていたと思うし
“やり切った”と言える。



じゃぁ、やり切ったのなら
なぜ、よさこいを見て
切なさを感じるのだろうか。


その答えは、逆だ。
矛盾して聞こえるかもしれないが

“やり切った”という経験があるから
切なくなるなるのだ。


身体が覚えているのだろう。
よさこいを見るたびに
私は、問いをもらっている感覚になる。

この先いつか、やり切ったと言えるほど
打ち込んでいるものはある?

それだけ夢中になれるほど
大切なものはある?

と。



頑張る
根性

なんとなく今の世間では嫌がられる単語。


別に、嫌いなことを頑張る必要はないし
大切じゃないものに、根性を発揮する必要もない。


みんながみんな、何かを
頑張りたい性質じゃないのも、分かっている。
頑張らない自分に価値がないなんてことも
まったく思っていない。


ただ、ただ、私は、
何か好きなものが欲しかった。
社会人になって、これ!という
打ち込めるもの、大切にできるものが欲しかった。



だから、大学時代と比較して

頑張りたい!と思えるほど好きなことがないこと
気力をもってやり切りたい
と思えるような好きなことがないこと

に、私はずっと切なくなっていた。



いろんな習い事してみたり
仕事頑張ろうとしてみたり
社会人になって、何か足りない!と思って
いろんなことをやってみた。


けど、見つからなかった。
だから、社会人になって、よさこいを見ると
少し、切ない気持ちになっていた。



でも、違った。
今ならわかる。
最初から、大切とか楽しいとか好きとか
そんなものは、そうそうない。


よさこいだってそうだった。
最初はほんの少しの好奇心。
気になるから、やってみる。


やってみていけそうなら続ける。


でもどこかで行き詰まることもある。
そこが、いつも分岐点。

そこらへんで終わってもいいし
頑張ってみてもいい。


でも、もうひとつ深く進んで
好きになるには、楽しむためには
正しく頑張ってみることが必要だったのだ。
我慢じゃなくて、努力の方ね。


好きだから頑張れる。
それもあってる。

けど、もうひとつ深くハマる瞬間
分岐点のその先にいくには
先に、えいやー!の努力が必要だったのだ。


そうやって、大切にするから
より、大切になる。



今年の夏休みは
よさこいを見ても
切なくならなかった。


頑張ってるなー
私も頑張ろー!
と、やる気をもらった。

この感覚がより深く腑に落ちたから。



ハチミツのことが好きで
いろんなことを知り楽しいだけの
数年があった。


その後、少し行き詰まって
ハチミツの優先順位が下がった。
けど、ふとしたことをきっかけに
もう少しやってみようと思った。


でもまた、行き詰まった。
だから、もっと深く知ろうと思って
ミツバチの勉強をしたり
フランスに行った。


そして今は養蜂を修行している(笑)


最初の好きと今の好きは
同じ濃度の好きじゃない。
最初は、今と同じように
大切に思っていたわけじゃない。


向き合って大切にしていくから
私の中で、とても大切になっていく。



今年の夏、東京で
またひとつハチミツに深くハマる経験をした。

深くハマるというか
またひとつ深いところで
向き合う覚悟だ。


沼だ…
ハチミツとミツバチの世界はおもしろい。



今年は、OGとしてよさこいを
踊っても良いかもしれない(笑)
もう、切なさはないから。

むしろ起爆剤になりそうだ。



そんなことを考えた
私の夏休みの思い出2024でした笑


今日は少し、学生の頃の宿題
夏休みの思い出のようなブログでしたね。

読んでくださって
ありがとうございます。


それでは、またね〜!