幸せと自分の未熟さを感じた一品

こんばんは。
橘ミサヲです。
今日、先日、さつま芋掘りをしたときの
茎の部分をきんぴらにした。
うちの実家では、この季節に
よく登場する1品
【芋のジクのきんぴら】
芋の茎の皮を剥き
30分ほど水にさらし
お湯で茹でる。
その後、適度な長さに切って
バターと醤油でサッと炒める。
最後に、ゴマを振って出来上がり。
(今日は家にゴマがなかった…)
私は、このおかずが大好きでした。
子どもながらにシャキシャキの食感と
醤油バターにご飯がすすむ。
秋になると、よく母に
芋のじくのきんぴら食べたーい
と、リクエスト。
しかも、これを
“ただ”炒めるだけの簡単料理だと思ってた。
が、しかし
大人になって自分で作ろうとした時に
衝撃を受けた。
まぁまぁめんどくさく
大変な工程があるのだ。
それが
【茎の皮むき】
太くはないあの茎のまわりの皮を
1本ずつ剥く。これが、地味に大変。
わたしは昔、一度知らずに
そのまま炒めて
死ぬほどアクが強く
苦い思いをした。
結果、自分では作らないと決意(笑)
同時に、母と祖母に
感謝の気持ちが湧いた瞬間でもある。
あれから数年。
今日、芋のじくをたべたことのない
夫のために作ってあげようと
あの面倒な作業にとりかかった。
自分だけじゃ、やらないけど
誰かのために、誰かと一緒に食べるためなら
ちょっと頑張る。
母や祖母もこんな気持ちだったのかな?
ってほっこりしました。
茎の皮を剥きながら思い出すと
母や祖母が台所で座りながら
むいていたのを思い出した。
ミサが好きだから捨てずに
とっておいたのよ。
よくそんなことを言っていた。
実家を出てからの年数の方が
長くなりつつあるが
またこうやって母や祖母への感謝を
感じることができた。
作ってよかった。
そして、恐ろしいことに
手を動かしていたら
子供の頃、ほんと小さい頃に
この皮剥きを遊び感覚で手伝っていたのを
思い出した。
そう、体が覚えていたのだ。
記憶は消えていたが(笑)
体が覚えていて、途中からすんなりと
むけるようになって自分でもびっくり。
カラダってすごい…
そして、久しぶりに芋の茎をむいて思ったのは
あぁ、わたし幸せだなってこと。
社会人になってアク強の
芋のじくのきんぴらをつくったときは
すべてに余裕がなかった。
皮を剥く時間がなかった。
いや、時間があったとしても
その時間を無駄だと思っただろう。
今を味わうことができないくらい
カラダもココロも疲弊していたから。
でも今は、そんな時間を楽しめる。
こんなふうに思いを馳せることができる。
子供のように、今に集中する感覚を
味わうことができている。
そして、誰かに食べさせてあげたいと
思えることができる。
幸せだな。
そんなことを感じた1日でした。
さてさて、最後に
わたしの大好きなメニュー
芋のじくのきんぴらを食べた夫は…
無反応。
(これは雲行きが怪しいゾ…
聞かないほうがいいよな…
と、思いつつ聞くわたしw)
「なんかないの?どう?」
「んー醤油の味?」
ぶっちーん!
もう、、、やらん!!!
なんと身勝手な妻でしょうか(笑)
母に比べて
わたしはまだまだ未熟者です(笑)
おわり。